2010年03月22日
安倍奥歴史譚
安倍七騎を御存じですか?安倍奥各地で伝承されている七人の武将です。江戸時代後
期に新庄道雄という方が著書「駿河国新風土記」の中で安倍七騎のことを記していま
す。その後、明治、大正、昭和と時は流れ、その伝承が途絶えそうな中、淺羽克典
(平成の新庄道雄でしょうか?)という者が幼少期に伯父(叔父?)から聞いたこの
七人の武将のことを調べ、独自の考えをまとめ小説「安倍七騎」を書き上げました。
この淺羽さん、安倍奥の会の副会長です。昨日は、長妻田の曹源寺で「安倍奥歴史」
と題しての講演会を行いました。130人余の方々参加。お疲れ様でした。
曹源寺は、安倍七騎の1人とされる大石五郎衛門公の供養をされているお寺です。安
倍奥の会では1年前の4月18日、この曹源寺で安倍奥の旋律というインド音楽の演
奏会を開きました。何故、淺羽さんはこの安倍奥の歴史小説を書いたのか?また、何
故安倍奥の会は、この地で演奏会を開いたのか?
大石五郎衛門公は、上落合という集落を守るお侍さんでした。柿島の領主朝倉氏から
上落合を守ろうとし、朝倉氏にて討ち死となった悲劇の話、今は中河内川の清流、緑
豊かな山々、茶畑の風景が広がる地に伝承される話。徳川家康公が駿府城に入城する
前の出来事。
史跡を巡ると、昔の人ってすごいな、大変な時代を生きてこられたんだなって思いま
す。そうそう、今は、お彼岸。まずは身近な御先祖様、亡くなった父を思い出し、合
掌。
期に新庄道雄という方が著書「駿河国新風土記」の中で安倍七騎のことを記していま
す。その後、明治、大正、昭和と時は流れ、その伝承が途絶えそうな中、淺羽克典
(平成の新庄道雄でしょうか?)という者が幼少期に伯父(叔父?)から聞いたこの
七人の武将のことを調べ、独自の考えをまとめ小説「安倍七騎」を書き上げました。
この淺羽さん、安倍奥の会の副会長です。昨日は、長妻田の曹源寺で「安倍奥歴史」
と題しての講演会を行いました。130人余の方々参加。お疲れ様でした。
曹源寺は、安倍七騎の1人とされる大石五郎衛門公の供養をされているお寺です。安
倍奥の会では1年前の4月18日、この曹源寺で安倍奥の旋律というインド音楽の演
奏会を開きました。何故、淺羽さんはこの安倍奥の歴史小説を書いたのか?また、何
故安倍奥の会は、この地で演奏会を開いたのか?
大石五郎衛門公は、上落合という集落を守るお侍さんでした。柿島の領主朝倉氏から
上落合を守ろうとし、朝倉氏にて討ち死となった悲劇の話、今は中河内川の清流、緑
豊かな山々、茶畑の風景が広がる地に伝承される話。徳川家康公が駿府城に入城する
前の出来事。
史跡を巡ると、昔の人ってすごいな、大変な時代を生きてこられたんだなって思いま
す。そうそう、今は、お彼岸。まずは身近な御先祖様、亡くなった父を思い出し、合
掌。
Posted by 安倍奥の会 at
21:17
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